割とネタ

 

うちの母はとても「関西人」に抵抗があり、かなり「偏見」を吐きます。

それに反抗するように私が関西人の男を好きになった頃も「あ~こういうノリね。こういうのが好きなの?」と決して私の"好き"を否定しないように、皮肉を込めてめちゃめちゃ言われた記憶があります。私がその関西人から離れてからも、「このバンドが好きなんですよね。」と紹介すると「えーなに関西?」と聞かれます。「いや東京」と答えると「珍しいじゃん!あなたの事だからだいたい関西でしょ」と疑いを辞めてくれない。

しかしそれもあながち間違いではなく、私は結構関西が好きです。

何でこんなにも喋りで人を笑わせられるのか、と真面目に思っていたし今でも思っています。もちろん関西人以外で面白い人も溢れんばかりにいますが、関西はそれが突出して高い(目立つ)。

その場のテンションとノリと見た目で笑かしてくる笑いも好きですが、ひたすらの言葉攻めで笑かしてくる人、すごく好きです。発する「言葉」がとても面白い人って、学校的な偏差値はどうであれ頭が良い。すごくとても嫉妬する。頭の中を巡らせこのシーンに合うと思う言葉を選び抜き発することって、もちろん基本的なことであるけど、それをいかに「おもしろ」にフォーカスを合わせていけるかが難しい。

私は文面が明るい人に惹かれる。例として「よろしくお願いします。」というツイートならば「よろしくお願いします!!!!!!!!!」と投稿してほしい。というかこうして投稿する人が好き。それをずっと見ていると何だか無条件に気持ちが明るくなるし、何だか少しの幸せを分けてもらった気分になる。

ですが、「言葉で笑かしにくる」場合はビックリマークに頼らず「文章」で笑かしに来てほしいものである。めちゃめちゃ真面目じゃん!と思わせておいて最後に下ネタをぶっこむ単純計算の文も、私は嫌いじゃない。

めちゃくちゃ面白い返し頭に浮かんだわ、と確信を持った時、私はその言葉のみで勝負をします。なぜならその言葉のインパクトだけで笑ってほしいから。

それだけですごく美味しいお肉は塩すらも要らないし、何もつけずに食べたいじゃん?噛み締めて噛み締めて、不純物を何も感じずに味わい、「美味しい!」と叫ぶために。

例えば、ガキが憧れるYouTuberというジャンルでも「企画が面白い!」も然ることながら、「トークがバカ面白い」ということが大事。故に私は「概要欄系YouTuber」が好きです。*1 そこの主が面白い言葉を吐いているとそこにいるリスナーもきっと面白い。類友。

少し話が逸れてしまいましたが、私は「関西人」というめちゃくちゃ面白いことを言っている人をしっかりと認識してから、「私も面白くなりたい」との野望を持っているわけです。バカみたいにボケて友人に呆れられたいわけです。「ただの会話」だけでオーディエンスを笑いで包みまくりたいわけです。

海外のコメディドラマをたくさん見て笑いの起こし方を学んだり、私がただ「トークが好き」と思う人のトークをずっと聞いたりしてるんですが、どう転んでも私は面白くなれないわけです。

中学生の頃はひたすら「世の中への皮肉」を吐いているだけでかっこよくそこそこ面白いはずだと思っていたけど、それは正解ではなかったみたい。

いつ何時も面白くありたい私はどんな言葉を吐いていても「ネタ」だと捉えて笑ってほしい。「死にそう!!」とツイートしていてもあくまで"私は"死なないし、もし死んだときは天国から「死んだ」とツイートを投稿します。できないけどね。これ笑って。今、今だよ!

でもこれは私の話であるので、皆はどうかわからない。皆が本気で打って投稿しているかも知れないツイートも、私の頭では私だったらネタ。と自分の基準で決めてしまうので、見落としているかもしれない。あなたのSOSを。

このように「おふざけ」も行き過ぎてしまうとダメですよね。表現の自由は縛られてはいけないけれど、こういう部分は制していかないと他に悲劇が及んでしまう。すごく難しい調和だと思います。人間縄文時代に戻っても全くの平和は作れないと思う。

 

私は一番最初の話から派生して段々道を逸れ、収集がつかなくなる文章を書くのがとても得意です。今もそう。もはや誇りですね。違うけど。語彙が豊富で心を持っていかれる文章を息を吸うように吐ける人間になりてぇもんです!ところで私は一週間前に見たビデオの男優さんの名前がしりたくてしょうがない。そんな気持ちで書いたのでこれは全部ネタです。割と。全部。

 

*1:無編集でバカ面白い人も好き。だって面白いから。