走れ、絶望に追いつかれない速さで


今、「いのちの車窓から」という本を読んでいます。以前プライベッターに出した早く過去形に、という記事の冒頭で言っていた「好きなアーティストの本」とは"働く男"という同じく星野源さんが書いた本。エッセイを読んでいるとすごく文章を書きたい衝動にかられます。前も、今も。


私は英語の授業がすごく苦手です。英語の授業が始まった小学3年生の頃からずーーっと変わらず苦手です。繰り返される"ゲーム感覚で"という言葉と、始まる英語を使ったゲームがどう考えても楽しくありませんでした。日本に生まれ、日本語を使い生きているのにわざわざ他国の言葉をわざわざ日本語に訳し、意味を覚え、それを学ばなければいけないことが私にはよくわからず、日本語を否定されている気持ちになったりします。こう言うと私自身でも「英語を話せた方がいいから」という安直な正論が出てきたりしますが、それよりも私は日本語を学びたいと強く思います。

知り合いに海外に行きたい(留学をする)と言う人が数人いて、その理由や話を聞いても私は海外に行ってみたいと思うばかりか、日本の良さを再確認するだけでした。

私は邦楽が好きで、邦画が好きです。今話題のミュージカル映画より、手を伸ばす映画は静かに人間の性(さが)を描くような作品が多い。

「走れ、絶望に追いつかれない速さで」という映画を見ました。


映画『走れ、絶望に追いつかれない速さで』予告編A

何の脈絡もなく死んだ親友の「死」を通して静かに描かれる、「生」への道筋。

本当に淡々としています。一番身近である親友が死に、まだ真っすぐ前を見れていない感情の表現、親友の死に向き合おうと行動を起こす発展の仕方。変にBGMを使わず、演技も演出もとてもナチュラルです。私はこの静かに揺れ動く心を描くものが大好きです。

演者の息遣いや海の音、綺麗な風景。「若者たちは、太陽を目指した」という言葉が書かれているのですが、その通り、最後に向かうにつれ、しっかりと明るさに向かっている姿が感じられます。親友に向き合うため、親友が最後に描き残した中学時代の同級生だという女の子に会いに行きますが、この映画の着眼点は「なぜ死んだのか」ではないので、最後までそれは視聴者側には伝わりません。ただ、何かを知り、感じ、やっと受け入れられた、というかのように、漣(主人公)は本編で初めて泣きます。ご飯をかきこみながら静かに。

親友の死後の"今"と親友が生きていた"過去"の楽しそうなシーンに少し時間軸が混乱するところもありましたが、リアルな儚さを感じ、私は特に気になりませんでした。

大学生・男二人が軸となり紡がれるストーリーを一生大事にしたいと思う。いや~~~~~、本当に。個人的に主演の太賀さんに触れるのは3回目なのですが、簡単な言葉ながら、素晴らしい、と思いました。漣が泣くシーンを境に、小さく変わっていく表情や描き方に感動しました。というか、私は単に葛藤と共に泣いている人が好きで、泣いている顔が好きなので、もしかしたら無条件かもしれません。

映画本編もさることながら、度々かかる音楽がさりげなくキレイで、私の人生のBGMにしてほしいと思いました。いつか私題材の映画を作ることがあればBGM・主題曲はこれで宜しく願いたい。そんなことはありません。

GWということにかこつけてひきこもりニートになってやると意気込み、DVDの映画を見たり起きる時間をフリーにしたりしたのですが、とても嬉しいことに遊びにも出向けたので、私はすごく幸せです。結局ね。私の中のGW初日・3日水曜日にこの映画を見て、呼吸をするように"記事を書く"を押し、打ち始めましたが、今はGW最終日・7日日曜日です。3日ぐらい温めという名の放置をしました。それなのに私は明日の数学に向けた勉強を一切していないし、テストのある漢字も何一つインプットしていません。連休っていこういうものだよね。夏休みの宿題を思い出しました。少しなまった体を叩き起こすべく頑張ります。男の人同様私も糧を持って、力強く。